今年も去年に続き、4月に2週間ほど仕事の休みを取ってイタリアに行ってきた。副業のためではありつつも、異国の地の人々の暮らしや、日本とは異なる石造りの美しい建築群には、刺激をたくさん受けた。特に、ミラノ中央駅の歴史的建築と、駅を利用する人々の日常が自然に共存している様子には、とても感動した。きっとミラノ中央駅を毎日使う人にとっては見慣れた景色なのだろうけど、奇跡に近いようなことが積み重なって生まれていることだってある。日常の中で毎日触れ合い続けていると、私たちはそれを当たり前と感じるようになってしまう。先人たちが積み上げてきたもの、今回は建築だけれども、そういったものの恩恵を受けて私たちは生きている。それは建築物に限らず、文化という見えない形でも受け継いでおり、私たちの思考や価値観の中に当たり前のように息づいている。振り返って言えば、日本での私たちの暮らしにも、そういったことがちりばめられているはずなんだ。日本で育った私たちからすれば当たり前になって見えなくなってしまっているけれど、私たちの日常の中にも先人たちから受け継いだ素晴らしいものがちりばめられていると思えば、日常をより愛せるかもしれない。逆に言えば、無意識に刻み込まれたものから逃れたり、距離を置いたりすることは難しい。まずはその存在に気づき、輪郭を明らかにしたうえで切り離さなければいけないからだ。私は、私が生まれ育った土地の環境や、人々が好きだ。そのことには感謝しなければならないなと思う。
イタリアから帰ってきてから1週間ほどになるが、ここ最近はずっと調子がヘンだった。最初は時差ボケによる体内時計の狂いが戻らないのかな、という感じだった。日中もずっと眠気が取れないし、何をしてもあんまり楽しくない。不必要にイライラするし、休みの日には毎回12時間以上寝た。やっと今日あたりから調子が戻ってきた。
自分なりに原因を考えてみるけれど、思えばイタリアに行く直前までの時期も、主観の世界で見るとギリギリだったような気がする。なんというか、あらゆるタスクに対して間に合わせで動いていたような感じというか、とにかく余裕がない感じだった。本業、副業、個人の活動、家族と過ごす時間、日々の生活、人付き合い、趣味、一人の時間。これら全てをお手玉のようにやりくりするには時間がどうしても足りないというのを、ここ最近の課題感として抱いていた。でも、どれもどうしても落としたくなくて、毎日どうにかこうにかやっていた。休みもきちんととっていたつもりだけれど、本当の意味でリラックスできている時間を十分に持てていなかったのかも。ずっと焦って勝手に独り相撲をしていたのかもしれない。
それで、イタリアだけじゃなくてここ1年くらい溜めた悪いものの膿出しみたいな感じだったのかな、と思っている。イタリアへの出張も、パスポートを取り違えて持っていくミスに始まり、トラブルまみれだったので、厄落としと思おう。
20代後半くらいから自分なりに、もっとたくさん行動できるようになろう、もっと頑張れるようになろう、強くなろう、と思って行動し続けてきたけれど、次のステップを意識するときが来たのかもしれない。ここまでの人生で進めてきた自己理解も統合して、単純な量の大きさだけでない、質的にも自分に合った暮らし方というものを考えてもいいのかもしれない。
去年は本業も忙しく、22時くらいに帰るような日もあったので、いよいよ時間が足りないなと感じ、職場と調整して今年の4月から週4勤務に変えてもらった。4月はイタリア出張、帰ってきてからはGW期間で周囲がいつもと異なる時間軸での動きだったので、本業週4勤務の影響を感じるのは、これからだと思っている。
少し時間はかかると思うけど、まずは新しいリズムに慣れて、新しい暮らし方のベストを探り、シフトしていかなければならない。


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