切り離された空間
現代の生活においては、行動量が多い人のほうが社会的に有利だ。科学技術の発展や、ノウハウの成熟であらゆることがより短時間で済ませられるようになり、人々は競い合うようにいろんなことをしている。それは人類の進化発展という観点では大いに結構な事だけれど、忙しなく動いていると体験できないこともある。私が常々大切にしたいと思っているものだ。豊かな時間を贅沢に使うことでしか体験できないもの。表層だけなぞって行動しても意味がない。時間、空間に無駄と言えるほど大量の余白がなければ、その価値が失われてしまうもの。
例えば、小さな子供が夕暮れ時、自分の影が伸びていくことに好奇心が掻き立てられて、晩御飯の時間も忘れて影を追いかける。
あるいは、仕事を引退した老人が、有り余る時間を海辺での釣りに費やす。穏やかに流れる時間の中で、昔のことを思い出したり、家族のことを考えたりする。
そういう時空間には、誰しもが入ることを許されるけれど、ほんとうは世界から切り離された特別な空間で、こちらから望んでも入れないものなのだと思う。特に社会の中で役割を担った大人たちは。
そういったもののことをふと、思い出した。
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