雑記:20250726

プライベートな日記の方は文字数が最近伸びているけれど、こちらのブログでの雑記は、何回か書こうとしては書けずに終わってしまう日々を過ごしていた。なぜかというと、こちらのブログで書くにはあまりにも個人的過ぎるようなことで頭がいっぱいだったためだ。このブログも個人的なことばかり書いているではないか、と思われるかもしれないけれど、自分なりにはかき分けているつもりだ。いざ書こうとしてしょうもないな、と思い直してやめるみたいなことを繰り返していた。でも、もともと自分はエッセイ崩れみたいな文書を書いていたのだし、今自分が書こうとしていることをしょうもないと思うことが”しょうもない”のであって、練習が許される場なのであればとりあえず書いてみればいいじゃないか、と思い直した。頭の中で完結せず、駄作でもいいから手を動かそう。動き出せない時こそ特に。

最近、”編集”というワードが気になっていて、編集の本を読んでいる。
https://www.diamond.co.jp/book/9784478112748.html
この本は、480ページ以上あってとても分厚いのだが、さすが編集のプロの方が書いた本。とても読みやすく作ってあり、文章がすらすらと読める。心地よさを感じるほどに。最後まで読めるか不安だったが、1/3ほどまで読み進めることができている。何年か前に興味本位で買っていたのだけれど、本棚で2~3年くらい寝かせていた。

“つくること”をリスペクトしていた自分は、絵をかいたり、物を作ったりするような”0→1″的なクリエイティビティに長らく憧れていた。そのためか、編集の「すでにある物に光を当て、良さを引き出す、伝える」という営みには興味が沸かず、その価値を理解できないでいた。けれども、自分が参加しているデザインスタジオのメンバーを「社会につなげたい」と思い活動した結果、本当に社会につながっていって活動がさらに活性化したり、何よりメンバーが喜んでくれたという経験を幸いにも得ることができ、それこそが、広い意味で編集的な活動なのではないかと思うようになってきた。

そう思い世の中に目をやると、編集的な活動は意外と多い。その中でも分かりやすいものは、写真撮影だろう。撮影者が感じた主観的な魅力を、最大限引き立てるように、そして写真を見た他の人たちにも伝わるように、光を当て、現実の空間を二次元の画面に切り取る。
良さを伝える、という作業も決して簡単なことではなく、エネルギーも技術もいる。作った人自身がそれを行う時間も技術もあればいいけれど、そうでない人もいる。そして、受け手側も作り手の良いところを探し、見出してくれる人ばかりであれば良いが、そこまで熱量のある人は決して多くない。作った本人が想定していなかったような魅力、受け手が期待していなかった魅力を見出すことで、新たな価値を生み出すことだってできる。第三者視点で、想像の外にある良さを発掘し広めることができるという事こそが、編集者の活動の価値なのではないだろうか。

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