この週末は、パートナーと一緒に私の実家に帰っていました。実家は車で1時間程度の場所にあるので、結構頻繁に帰っています。パートナーと実家が仲良くしてくれているので、私としては有難い限りです。実家には母と妹が2人暮らしていて、帰るたびにいろいろと話をします。
妹は趣味でイラストを描くのですが、AIを使ってイラストを生成する人たちが生成AIでお金を稼いだり、イラストを自力で描く人たちを下に見るような発言をしたりすることに対して不満を抱いているようでした。実際、イラストや音声データをAIで生成する人たちには、学習データとして人が描いたイラストを使っておきながら、イラストを描く人たちを見下すような態度をとる人たちがいます。
この辺りの領域はまだ未整理でありながら、技術革新はどんどんと進んでおり、人間全体としてどう受け入れていくのか難しい問題です。
生成AIは実際非常に便利な技術であり、普及は止められない流れだとは思います。おそらく、時代を大きく変えるような技術だと思います。ただ、イラスト生成AIが普及したからと言って人類がイラストを描く事をしなくなるかというと、そういったことはないと私は思っています。生成AIによるイラストの生成と手作業によるイラストレーションは、アウトプットが生まれるまでのプロセスが異なるため、鑑賞の体験がまるで異なるからです。
完全に一緒ではありませんが、似たような事例からいくつか考察できると思います。例えば料理。最近ではセントラルキッチンで機械によって工業的に調理・加工された食品が流通しています。それらは冷凍食品としてスーパーに並べられたり、全国チェーン展開された飲食店で提供されるなどして、広く食べられています。大変効率的で、おかげでたくさんの人がおいしい食事を気軽に、労力なしに食べられるようになりました。しかしそれらに比べると非効率な作り方で作られていると言える個人レストランでの料理や、家庭料理も、いまだ愛され食べられています。それは、前者に比べると非効率と言えるかもしれませんが、完全になくなる、ということはなさそうです。人はモノがやってきたプロセスの中にも、価値を見出そうとします。工芸品にも似たようなことが言えると思います。
生成AIについては詳細部分としては料理や工芸の事例とは異なる部分もあるとは思いますが、最終的には大衆向けの効率的な手法として広く受け入れられて、手描きのイラストはより高価値なものとして扱われたり、専門的なもの、豪華なものとして扱われていくのではないかなと思っています。
そんな考えを妹に話したところ、「そんなことを聞きたいんじゃない」と言われてしまいました・・・。
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